ふと、思ったのだ。
だから笑わないで聞いて欲しい。たぶん、誰しも一度は考える事だ。少なくとも僕は幾度となく考えてきた。
そしておそらく、答えを出せる者など何処にもいない。笑うことさえ、出来るかどうか。出来ても、それはきっと失笑とかそういう類のものだ。
幸せって、なんだろう。
その答えはきっと無数に転がっている。そしてそのどれも同じものではなく、等しく価値があり、きっと大切なものだ。
その一方で、答えなど無いのだと思う僕がいる。
チルチルミチルの青い鳥のように、幾ら探しても見付からず、そして探していられる時こそ本当は幸せなのだと思う僕がいる。
だから、僕には何も分からない。
どこを探せばいいのか、何を見つければいいのか。何時まで、探し続ければいいのか。何時、諦めて家に帰ればいいのか。
それでも、分かっていることが二つある。
一つは、こうして悩んでいても幸せは訪れないと言うこと。
それから、僕はどうやら幸せになりたいらしいということだ。
お酒もタバコも好きじゃない。少なくとも、美味しいとは思わない。それでも、妙に恋しいときが偶にある。
大学を抜けて、あるいはバイトをちょっと抜け出して、自販機を探す。そうして一本だけ吸ってむせ返り、念入りに何度も火を消して、その辺のゴミ箱に捨てる。残りはポケットにしまう。
だから、僕の部屋には封の開いたタバコが何箱とある。
ライターの発火石を何度も擦る。風に煽られて火花が飛び散るだけで、映画やドラマのように一発で格好良く火は付かない。
「ねぇ、そのジッポ」
物憂げな声が耳に届く。彰子は僕と同じように手摺りに寄り掛かりながら、じっと遠くを見詰めていた。
秋の隅田川は静かに水音を立てて、冷たそうに流れている。タバコには咥えすぎた為か涎がべったりと付いている。
「ん?」
そっと手が伸びてくる。彰子の白い手が風を遮り、紙のタバコに小さな火が付いた。
「タバコ、似合わない」
言葉が繋がっていない。僕はカチャンと蓋を閉じ、コートのポケットに放り込んだ。このライターが、どうしたと言うのだ。
彰子を見る。眼が逢って、僕は口から煙を吐いた。彰子の口には、当たり前のように紫煙が咥えられている。
「うっせぇな」
そう言って、眼を逸らす。煙を吸い始めるにも、色々と理由があるものだ。しかし、不味い。乾いているようで、それでいて絡みつくようで、喉にも張り付き、肺を圧迫する。それでも、もう咽せたりはしない。
「……ねぇ」
彰子の声がする。僕は何か言おうと思って、何も思いつけず、口を噤む。その代わりに煙を吐く。風に流されて、煙は彰子を襲う。彰子の煙は、ただ川下に流れる。
「ねえ、塚本」
「……ん?」
眼を細める。いっそこのまま閉じてしまいたい。暗闇の中に、全て消えてしまえばいい。もしくは時が止まればいい。情けなくなる。頭に思い浮かぶのは逃げることばかり。
だからと言って、代案が浮かぶわけではなく。他に、何が言えるでも出来るでもなく。煙を吸う。最後まで、根元まで、せめて。
「帰ろっか」
タバコを川へ放る。視界から消えて、ジュッと音を立てた。
「あぁ……」
それっきり固まってしまった俺を置いて、彰子が歩き始める。横目で追いながら、俺はタバコとライターを取り出す。吸おうとして、振り返り、叫ぶ。
「彰子っ」
土手の中頃で、長い髪をなびかせて彼女が振り返る。僕は彼女に向かって、手の中のライターを投げた。山なりを描いて、彰子の手に収まる。
「なによっ、いきなり」
「やるっ」
「は?」
「お前にやる」
彰子は怒りながらも、諦めや呆れの方が強かったらしく、そのまま土手を昇っていった。ライターを握った手を、そのままポケットに突っ込んで。
僕はそれを見詰めながら、柵にもたれ掛かり、引っ繰り返るか柵が壊れるかしてなんとか川に落ちないものかと願った。少なくとも、その間は何も考えないでいられるだろう。あるいは、そのまま何処までも沈んでいけはしないだろうか。
勿論、そんな事を含め何一つ起こらず、僕はただじっと、彰子が足下から消えていくのを何一つ見落とすことなく、見送った。
また、部屋のタバコが一つ増える。
「……はぁ」
息を吐く。
幸せは遠い。