「白眉の書」

 「ある魔王が恋をした〜長編版(仮)〜」
 「Roy〜神よ、子どもたちは泣いている〜」
 「剣〜鬼哭のつるぎ〜」
  ――ただいま絶賛(!?)連載中。毎週金曜日にどれかは更新(予定)――

再び設置しました。何卒。
 リンク        掲示板       サイト情報(旧)       好きな詩       小説       読了      青鳥文庫

10/30:あ、という間の

 二日間でした。これと言って何かがあったというわけでもないというのに、瞬く間に過ぎておりました。
 ともあれ、明日も忙しい。
 
 午前0時42分現在。もう寝ることとします。

10/27:ちょいと遅く起きた朝は

 なんだか、久々に書くことがありません。
 どうしよっかなぁ〜と思っていたら日が過ぎてしまいました。最近は結構思い付くようになっていたのに。
 何だか無念。

10/26:今日は

 こんにちわではありません。きょうわ。

 さて、今日は雨の中、朝っぱらから元気に運動会でした。疲れました。ですので、もう寝ます。

 では、また。

10/25:MS IGLOO2

 観。微妙。短。故、微妙。

 まあ面白かったは面白かったんですが、何しろ短い(前作も長さ的には似たようなものなのですが、どうにも短く感じたのは、面白かったからか物足りなかったからか)。
 ザクVS人という構図は良かったのですけどね。なんだか死神さんという若干ファンタジちっくなキャラが居たのにはちょっと残念。
シリーズを通して毎回死んでいく主人公を見守る(前作、前々作の第603技術試験隊のような)役なのでしょうが、前作が一部隊として生身の存在であったのに対し、今作の死神というのは透明で、浮き上がった印象を憶えました。
 まぁおそらくは、この死神さんにも何らかの悲哀的なエピソードがあるのでしょうが、なんだか綺麗すぎて死神オンリーのシーンなど別のアニメを観ているようでした。
 クオリティは全ガンダムシリーズの中でも群を抜いているだけ、ちょいと残念です。

 では、また明日。


 追記:どうにも我慢が出来なくなって、IGLOO1をあらかた観ました。やはり、良い。断トツに良い。
     HELLSINGの新作も発売日が決まりましたね。HELLSINGは原作がついに終わってしまいましたが、OVAの方もそろそろ佳境、楽しみです。

10/24:結婚!!

 今日は特別に見出しを大きくしてお送りさせていただきます。
 もちろんっ、結婚は私ではなく、ましてや、長谷川京子&ポルノグラフィティの〜でもなく。
 とうぜんっ、とくダネ! の佐々木恭子アナウンサーの結婚。
 ああ、吃驚しました。いやはや、おめでとう御座います。しかし嬉しい。
 今年はまったく訃報ばかりでしたからね。偶にはこういうこともなければ釣り合いが取れぬというものです。
 ただ、前は九ヶ月ほどで離婚されていらっしゃるので、若干そこが不安ではありますが、今度は子供もいるということですのできっと大丈夫。

 さて今日は金曜日。今日こそは忘れず、三つのウチのどれかを更新したいと思います。
 が、正直に言います。……実は何にも用意していないっ。
 ワタクシ、ちょい前から警備のバイトを始めることとなりまして、ここ数日(四日)ほど研修に行っておりました(場所は新宿で日帰りなんですけどね)。
 時間は九時から十八時。そう長い時間というわけでもありませんが、交通は一時間かけて自転車で通っておりましたから(金欠のため)、帰ってくるときにはヘロヘロで、&メールだの何だのを書いていたら直ぐに時間が過ぎてしまって、とても小説を書いている時間がありませんでした。
 昨日でひとまず研修も終わり(無事卒業しました)、来週の月曜日から勤務が始まる(といっても道路警備ですが)までちょい休み。が、気付けばもう金曜日。
 さてはて、今日一日でワタクシは見事小説をアップすることが出来るのかっ。
 ……まぁ、剣とRoyの二つはストックがあるので何とでもなるんですけどね。
 時間が無いとはこういうことかと、朧気に実感しております。

 とさて、午後9時38分現在。無事に更新作業が終了いたしました。
 親父と飲みに行ったこともあり、結局更新分はストックから使用。
 まだ余裕があるとはいえ、このペースでは来月の今頃にはまともに更新できなくなるなぁ……。
 ともあれRoy。今回は第一章初めの見せ場であったりします。しかし、ちょい微妙。どこか、微妙。
 そして、「とらドラ」4話のアネキ会長も微妙。
 さらにそして「機動戦士ガンダム MS IGLOO 2」は最高。まだ見てないけど、おそらく最高。きっと最高。発売したと言うだけでもう最高。

10/23:そしてまた一日が過ぎる

 飲みに行ってしまった昨日。正直、雑記どころではなかった。死ぬかと思った(呑みすぎてと言う意味ではなく)。

 さてはて、我が家の愛猫が今日誕生日を迎えました。
 てのひらサイズだった子猫も、すくすくと育ってもう一年。
 ゴミ箱を引っ繰り返し、テーブルのコップを引っ繰り返し、立て掛けてあるギターを引っ繰り返し、今日も元気に愛猫が我が家を走り回っています。
 ……そろそろ、どこかの小部屋に閉じ込めておいても良いかなと思います。冗談冗談。
 そんなに動き回っているのに&おやつとか与えていないのに、愛猫は少しずつ太り始めております。それはさながら、私が痩せていくのと反比例していくように(ついに56Kgまで落ちました)。
 どうしたものやら。ともあれ、愛猫は今日も元気です。

 でわ。

10/21:な、な、なんたる……

 昨日、更新ど忘れ。なんだか無念。
 なまなか、連続更新一ヶ月とは行きません。無理にしたいわけではないけれど、なんとなくそうなっていればきっと嬉しいだろうし、だからうっかりミスで更新が出来ないと残念に(悔しく)も思います。
 でもまぁ、過ぎたことは仕方がない。
 さて、なぜこの人がデビューしないのだろうかと思っている一人がついにデビューを決定しました。
 ご存知「Word Gear」の管理人であり、「Sword Art Online」四作の作者である九里史生氏が「第15回電撃小説大賞」の大賞を受賞したとのこと。
 なんと目出度い。おめでとう御座います。
 作品のタイトルは『アクセル・ワールド』、筆名は『川原 礫(かわはら れき)』。
 受賞作が発売になるのはまだまだ先だろうと思いますが、なんとも楽しみであります。


 さて、以下は再び設置したWeb拍手への返答。

 ・とんでもありません。何も気にせず、お仕事と自身の勉強を優先してください。もし、たまにはちょっと時間を無駄にするのも乙なものだと思ったらご訪問いただければ幸いです。
 更新も実際は、Royは八話ぐらいまでほぼ出来ておりますし、剣は一応最後まで完結(ホームページには上げられませんでしたが)した話しを改稿しているだけですので、実際にちゃんと書いているのは「ある魔王」ぐらいです(そしてこれが中々更新できない)。
 まぁなるべくストックは保ちつつ更新していきたいと思っておりますが、どうなることか。
 ですので本当、お暇になってからふとお読み頂ければそれだけで充分です。感想も頂ければ、重畳というものですが(謙さまへ)。


10/19:感想と試作一号機

 さて、今日は少し長くなります。

 まず始めに、「青鳥文庫」を公開(ダウンロード)いたします。
 説明いたしますと、古書のようなもので、内容も殆ど古書と被ります。なぜこんなものを公開するのかと言いますと、作業工程に重要がありました。
 リンク先のZipファイルの中身はPDFとTXTファイルの二種類が入っております。PDFがメイン、TXTは若干の前書きとなります。
 収録した話しは「離縁」「夢幻」「一の命」の三つです。
 読み辛い。表示に変なところがある。その他、何かお気づきの点があればご一報下さい。
 また、次は今回のような書籍の形ではなく、日ごろの感謝も込め(余計なことかも知れませんが)雑誌のような形として書評を行いたいと考えています。
 書評させて頂きたいと考えているのは、今のところ、
 「不死鳥の玉子」さま
 「小話製作会社」さま
 「灰色の世界の片隅で」さま
 「くじら缶」さまの四つです。
 もし勝手にウチのことを書くんじゃねぇとお思いの方は、掲示板かWeb拍手にて連絡下さると助かります。
 また、ここを御覧になっていない方も多くおられると思います。もう少し完成の目処が立ちましたらその時に改めてご挨拶に伺いたいと思っております。

 さて、次はちょっと恥ずかしいお話をしようかと思います。以前からちょい悩んでいたことについて纏めたものです。
 なお常体(〜だ、〜である。の形)によって書かせて頂きました。ご了承下さいませ。


 まず前提として、これは極めて個人的かつ小心極まりない矮小な真実である。
 
 少し前から、私は感想を書くのが苦手となった。
 おそらくは、ノルン3の少し前か後ぐらいだったと思う。

 思うに、自身が小説を書いている場合。人の小説を、ひいては同じ素人の小説の感想を書くというのはどこか歪むものである(良い意味でも悪い意味でも)。どうしても、ただの読者としての眼では見られない。また見られたとして、そもそも感想など何もなく書きたくないときもある。それでも、義理で書くことは多い。それは、大概において自分に返ってくるからである。
 自分の小説をホームページ(以下、HP)で公開するとして、感想を貰う一番の早道はご同類を見つけてこちらから感想を書くことである。
 大概の作者は感想に餓えているから(そうでなければわざわざ数時間を掛けてHPを作ったりなどしないだろう)、まず喜んで(書いた感想にも依るだろうが)返事を書く。そして書き込まれた感想にURLが記載してあれば、その後にとりあえず相手のHPを捲ってみる。そして、ここからはその人とHPによって少し別れるが、私の実感として七、八割ほどは感想を書き込んでくれる。でなくとも、挨拶をしてくれる。あとはこれを繰り返せば、ネット上におけるいわゆる近所付き合いの完成である。
 ただしここには、落とし穴が一つある。前述した素人小説を書いている人同士の感想はどうにも歪むという事である。そもそも打算から始まっているのだから、そこに誠実さを求めるのがそもそも誤りなのかも知れない。全てがそうだとは言わないが、自分が相手の小説に感想を書くのが面倒だと思うのと同様のことを、相手も思っていない筈がないのだ。
 それが意識的であるのかあるいは無意識なのかまでは問わない。しかし人は、己の行っていること全てが自分の堅固な意志のもとに下されていると確信できるほど賢くもなければ愚かでもないだろう。そして、そこに読書というものの性質と、感想というものの本質が絡むと問題はさらにややこしくなる。
 私の学歴は中卒だが、僅かに通った高校の授業を含めても、長らく国語(読解)というものが理解できなかった(今では若干ながらその必要が理解できているつもりである。つまりは、読解と感想は違うのだ)。読書とは、その人の心に巣くうものである。数千数万と印刷された同じ言葉が人人によって違う意味を持ち、違う形を持つある種の不確定さに感想の本質と価値がある。だが、ここにこそ問題がある。
 感想が心に巣くうものであるならば、その巣はきっとその人の心を映す鏡でもあるだろう。醜い心の巣はそれなりに醜く、そして打算的な心の巣は打算的な形をしている。
 心とは、理性と欲望の混じり合った海を揺らぐ光のようなものである。どのような努力をしたところで、水に映る光を留め置くことは難しい。
 ノルン3が公開された後、もはや慣例となった感想大会が始まった。これは何となくお祭りの打ち上げにも似ていて、酒に酔って笑うように私は言葉を遊び、感想を連ねた。この頃の私は純粋に楽しければよいと思っていた。詰まらない小説の欠点をあげつらうより、詰まらない小説の良いところを探そうとしていた。またそれこそが何よりも高尚なことであり、大切なことだと疑わなかった。そして批判という言葉が何よりも嫌いで嫌悪していた。
 今でも、それは大切なことだと思う。しかしそれが全てという盲目的な思考は、気品や知性どころか、欲望から生まれてきていた。つまりはこれもまた、打算であったのである。私は、誰よりもそうして欲しかったのだ。
 気楽で、安く、誉められていれば良かった。高校を中退し、いわゆる世間にコンプレックスを感じていた私は、少しでも救われたかったのだ(それも安価に手軽にである)。小説に対してもどこか斜めに構え、口ばかり大きくてそのくせ何もしなかった。その事実を認識することを、正面から物事を受け止めることを恐れた。
 このことで、私は酷く失敗をした。詰まらぬ虚栄心で見栄を張り、ビッグマウスでその穴をどんどん掘り進んだ。
 私はここでも居場所を無くしたような気持ちになり、気力を無くし、一切に飽きた。しかし、それでも私は小説を手放せなかった。彼はどん底を掘り進む私を唯一忘れさせてくれる揺りかごだったのである。無論、そうしている間にもドンドン穴は深くなっていった。クスリに走るようなものである。
 しかしそれが功を奏したのか、仮にでも休息を得た私は復活したかに思えた。しかし私はもう感想が書けなかった。外に向ける期待を完全に失っていた。身の丈を知った思いだった。おそらく私はこの時、若くして小説家になることを諦めた。十年では短いと思った。もし私がお爺ちゃんになるまで生きる事が出来たなら、それまで小説を書くことを止めないでいたなら、その死に際ぐらいには何か値打ちのある言葉を吐けるようになるだろう。
 私はかつて三つも四つも登録していた検索サイトへのリンクを消し、百単位で跳び上がるように喜んでいたカウンターも消した。そして暫くの間、どこにも感想を書かなかった。自分がそれでも細々と書いたものを上げ、そこに変わらず感想を寄せてくれる近隣に対しても私はこれを守った(あるいは破ったこともあったかも知れない。しかしその時期については、申し訳ないが記憶にない)。そもそも、それらを読んでも殆ど何も思わなくなった。なんの言葉も思い浮かばず、掲示板は白紙のままだった。無理して捻り出した文は、水で薄めた牛乳のようで飲むにも不味く捨てるに臭かった。
 素人の小説家が書く小説の感想は純真であるが故に悲惨である。感想は、対した小説ではなく自分の心を映している。受け取った玉がどんなに美しくても、自分の手が泥だらけでは意味がない。その汚れに気付いても、洗い落とせねば意味がない。人を刺した血は洗えても、その温もりまでは拭えない。
 しかし私は最近、少しずつではあるが再び感想を書くようになった。たとえ拭えずとも、たとえ汚れたままでいようとも、それを知らなければ、それを忘れてしまえば汚れていないのと同じである。ボールは眼に白いまま、どこかへと飛んでいく。
 しかし、本当に忘れてしまうことなど出来ないものだ。いや、あるいは本当に忘れてしまったのかも知れない。しかしそれならそれで、また同じ失敗を繰り返すしかない。忘れられなくなるまで歩き続ければ、その果てにはきっと今よりも少しはマシなものがあるだろう。
 そう思って、ずっとずっと遅筆ではあるが、再び感想を書いている。 


 以上。

10/18:忘れてたぜ!

 いやっほう、昨日金曜日だったですぜ。全然無関心でしたぜ。週刊にしてからの初更新日、完全に無視ししてましたぜ。
 今日朝起きて、「あ〜、今週ももう土曜日か」と思って「あれ、じゃあ昨日金曜日?」と慌てて更新いたしました(決して原稿落とした訳ではないのです)。
 というわけで一日遅くなりましたが、今回は「Roy」の第二話を更新。
 来週は剣の更新が出来たら良いなと思います。

 では、失礼致しました。

10/17:文学フリマ 

 随分と冷え込んできました。もう無装備野宿は完全に無理ですね、凍え死にしてしまいます。

 さて、本年の十一月九日(開場11時〜終了16時)に東京秋葉原にて文学フリーマーケットが開催されます。
 私もごく最近知ったばかりですが、文芸についてのコミックマーケットにならんとすべく活動している非営利団体主催のイベントだそうです。
 実は最近(といっても古書を作りながらちらほらと考えてはいましたが)、出版や流通などこれまでの執筆以外の本の製作に興味を持つようになっています。
 なぜ本屋で本を注文すると一週間も二週間も掛かるのか(現在は大分改善されたようですが、それでも四、五日は掛かる)、なのになぜ某密林で注文すると一日かそこらで本が届くのか。なぜ、本はこんなに高いのか(他のものはどんどん安くなっているのに)。もっと安くできないのか。本の値段はどうやって決まっているのか。……など、他にも疑問は尽きません。
 その為に独学で勉強(と言っても市販されている本を読んで疑問や感想などを纏めているだけですが)をすると、なんとまぁ知らぬ事の出てくる出てくる。中でも地方にある幾つかの本屋さんや、版元についての記述は個性的で、自転車で日本一周するときは本屋巡りをしながら行こうなどと思っている次第です。
 さてそんな中、漫画のコミケのような文学(文芸)の同人誌即売会は無いものかと思うようになっておりました。ネット上で小説を公開している人は多くいますが、それをなぜ現物ではないのかちょっと不思議でした(「白樺」に代表されるように、そもそも同人誌とは文壇より始まったものです)。
 そんなおり、先日の筑波大学学園祭にて(開場に足を運ぶことこそ出来ませんでしたが)、筑波批評社というサークルの存在を知り、家に帰ってくるなり(他にも文芸部など)HPを覗きました。するとなんと、「ゼロアカ道場」に道場破りを仕掛けると大々的に宣伝されておりました。
 そもそも「ゼロアカ道場」ってなんだと思った私はそこからリンクを辿り、それが講談社BOX系のイベントである事を知り(詳しくはこのリンクを参照。注:若干分かり難いかも)、その第四回関門が「文学フリマにて自らの評論同人誌を売れ」というものでようやく文芸フリマなるものがあることを知りました。
 上記したような事を考えていた私にとって、これは実に衝撃的でした。
 「これは、行かねばならぬ」。まぁ、そんなことは私の勝手ですが。
 というわけで、細々とではありますが私としましても文芸フリマを応援することに致しました。
 何をするかというと、とりあえずリンクを張りました(よっしゃ)。興味を持った人も、持たなかった人も、是非とも一度御覧下さい。
 正直、あまりにも微力ですが現状ではこれで精一杯です。
 しかし、まぁ昨日今日知って出来ることと言えばこんなものでしょう(まさか寄付金というわけにも行きませんし)。
 ただ、これに終わらず色々とやってみる予定ではあります。
 やぁ、人生楽しみになって参りました。

 では、また明日。


10/16:とりあへず

 一通りの連載準備完了。
 毎週更新というのはかなり不安ですが、宝くじも買わなきゃ当たらないと言いますし、まぁとりあえず楽しんでやろうかと思います。
 連載ページは、三作ということで三色にあやかり、区別しやすいように黒、青、赤をイメージして作ってみました。
 が、もしかすると少し読みにくいかも知れません。その際は掲示板にてご報告下さると助かります。

 ところで、「さよなら絶望先生」の加賀愛役などで知った後藤沙緒里さんが「さよなら絶望放送」に出演しておりました。
声も人も非常に可愛らしかったので、ゴーグル(Google)で検索を掛けファンサイトを覗いてみたところ、なんと、同い年生まれであることが判明いたしました。
 「やべぇ、結婚してぇ」と一人胸を熱くする午前3時41分現在。夜勤のバイトをすることにしましたので、完全に昼夜逆転生活中です(←夜勤の意味がない)。
 自分と同い年の人が、自分の好きなジャンルで活躍なさっているとなんだか妙に嬉しくなるものですね。頑張らねばと、思います。
 
 兄はこう言った。「小説を、くだらないとは思わぬ。おれには、ただ少しまだるっこいだけである。たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこし らえている」私は言い憎そうに、考え考えしながら答えた。「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるならば」  また兄は、自殺をいい気なものとして嫌った。けれども私は、自殺を処世術みたいな打算的なものとして考えていた矢先であったから、兄のこの言葉を意外に感じた。
 (太宰治作「葉」より抜粋)



・過去の日記
 @ A

・詩のコーナー(09/19更新)

  どこへあなたが行こうとも  どこまでもぼくはついて行く  あなたが薄情になればなるほど  ぼくはますますあなたに真心をつくす  他人の好意は嫌いだが  好きな人の冷淡さにひかれるのがぼくだ  だからぼくからきっぱり離れたいなら  まずぼくに惚れることだよ
  (「ハイネ詩集」井上正蔵訳 ハインリッヒ・ハイネ作 「どこへあなたが」より)
過去の詩

@ AB C D
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